Infrared Spectrum

有機分子の構造をいかにして決定するか――これは、有機化学の創成期からの重要な課題でした。既知の化合物との反応性から含まれる官能基を推定したり、燃焼して得られる二酸化炭素と水の質量から組成式を導いたり、といった方法が古くから行われてきました。赤外吸収スペクトルの測定は、分光法による構造推定の手段としては最も古い部類で、そして現在でも重要な位置を占めています。

赤外光(主に4000cm-1~400cm-1)は、分子に吸収され振動エネルギーとなります。逆に言うと、分子の振動エネルギーはちょうど赤外光の持つエネルギーと一致します。そして、振動のパターンや原子の組み合わせによってそのエネルギー=波長が変化します。これを利用して、分子がどの波長の赤外光を吸収するか=分子がどんな結合を持っているかを決定することができます。

計算化学における振動計算は、これ以外にも重要な側面を持ちます。それは、構造が遷移状態かどうかを調べる時です。遷移状態は虚の振動数をただ一つ持つ、という特徴があります。よって、得られた構造の振動モードを調べることで、停留点か一次遷移状態か高次遷移状態 (複数の虚振動を有する状態)かを判定することができます。

Frequency Calculation & Drawing Spectrum

ir01.gif Fig.1 アセトンのモデル化

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Fig.2 基底関数の選択

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Fig.3 計算目的の選択

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Fig.4 振動データの読込

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Fig.5 基準振動Viewer

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Fig.6 振動アニメーション(C=Oが最も縮んだところ)

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Fig.7 生データのスペクトル

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Fig.8 スケール後のスペクトル

FacioにはIRスペクトルを描画する機能が搭載されています。これを利用して、アセトンのIRスペクトルを計算してみましょう。

本コーナーではモデリングがメインではありませんので、細かい記述は省略しますが、まずFacioを起動したら、同梱されているMethane.PDBを読み込みます。そして、[Edit]メニューを利用して一つの水素をホルミル基に、さらにアルデヒド水素をメチル基に置換してアセトンを構築します(Fig.1)。これを適当な名前でPDBファイルとして保存しておきます(ここではacetone.pdb)。振動計算は、最適化した構造でしか意味を持ちませんので、まずは構造最適化を行います。[Calculation]→[GAMESS]で計算プリポストを起動します。 $BASISセクションで基底関数をSTOからN21に変更し(Fig.2)、小さい分子ですのでFacioの子プロセスとして計算を行います。

計算が終わると最適化構造が画面に表示されます。この状態で、一旦構造をPDBファイルとして保存しておきます(ここではacetone_opted.pdb)。さて、ここからが振動計算となります。計算プリポストを表示し、今度は$CONTRLセクションのRUNTYPをHESSIANに変更します(Fig.3)。これが力の定数を計算するキーワード… つまり振動計算のキーワードとなります。他のキーワードは変更せずに、こちらも子プロセスで計算を実行します。

計算が終了すると、Worksheetウィンドウの最下行に「Number of Imaginary Frequency : 0」と表示され、虚振動が無い=安定構造(停留点)であるとわかります。振動計算の結果を可視化するには、可視化用のファイルの読み込みが必要になります。 [File]→[Load New GAMESS Punch for Normal Mode Vibration]を選択し、.punファイル (ここではacetone_opted.pun)を開きます。Worksheetウィンドウに「The corresponding output file is also loaded for IR intensity.」と表示され、振動計算のデータが正常に読み込まれたことがわかります。[Tools]→[Nomal Mode Vib. Viewer] を選択すると、Nomal Mode of Vibration Viewerがメインウィンドウの左に表示されます (Fig.4)。

この黄色いウィンドウの内容は、一番上のスライダーが振動モードの切り替え(波数の小さい方が左、大きい方が右)、その下に吸収強度と波数が表示され、その下にアニメーションのフレームレートのスライダーとフレーム計算ボタン、その下にアニメーションのスタート/ストップボタン、右のチェックボックスは1フレームずつ表示する場合にチェックします。まずは、各振動モードを順にアニメーションで表示させて見ましょう。最初は最も低波数の振動が選択されています。吸収強度0.17248です。[Calculate animation frames]をクリックして、アニメーションフレームの計算をし、[Start / Shift Frame]ボタンでアニメーションをスタートします(Fig.5)。表示された振動は、分子の長軸での回転のようです。[Stop]でアニメーションを止めて、一番上のスライダーを一つずらし、フレーム計算をしてアニメーションを表示し…を繰り返していくと、全ての振動をアニメーションで確認することができます。Fig.6に、カルボニル基の伸縮振動のアニメーションで、最も縮んだ所のフレームを示します。この振動は吸収波数1940.34487cm-1,吸収強度3.11883と計算されています。

ここでお気づきの方もいらっしゃると思いますが、波数が実測値に比べて大きく計算されています(実測は1720cm-1付近です)。これは多くの分子軌道計算で共通していて、定数(Scaling Factor)をかけることで実測の値と整合性を持たせることになります。定数はモデル化学(計算方法と基底関数の組)ごとに定められていて、Facioにも予めいくつかの定数が入っています。先程触れませんでしたが、黄色のウィンドウの一番下に、 [Open IR Spectrum Window]というボタンがあります。これは、計算結果から予測される IRスペクトルを計算,表示するものです。

IR SpectrumウィンドウをFig.7に示します。これが計算値そのままのスペクトルで、高波数側にシフトしているのが分かります(分子軌道計算や密度汎関数理論で計算されたスペクトルは、系統的に高波数に計算されます)。ウィンドウ下に、 Scale Frequenciesというチェックボックスがあります。これをチェックし、上のScale Factor から「HF/3-21G」を選択すると、指定のScale Factorで再計算(波数×Scale Factior)されたスペクトルが描画されます(Fig.8)。計算に用いたモデル化学のScale Factor でスケールしないと意味はありません。このスケーリングによって、各ピークが実測に非常によく合った位置にきます。

Vibration Mode of Transition State

ir09.gif Fig.9 遷移状態付近のポテンシャル図

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Fig.10 TSの初期構造

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Fig.11 TS計算の設定

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Fig.12 遷移状態の振動アニメーション

冒頭で述べたように、遷移状態とは「虚の振動数をただ一つ有する構造」を指します。遷移状態とは、Fig.9に示すエネルギーポテンシャル面の中で、ただ一つの反応座標方向にのみ下っていて、他の方向には全て登っている点… ちょうど峠のような点を示しています。この点の振動は、ただ一つの反応座標方向の振動のみが「伸びるほど、さらに伸びる方向に力がかかる」振動、すなわち虚振動となります。よって、振動計算によって虚振動が一つだけ確認された場合、その構造は虚振動の方向への構造変化の遷移状態であると決定付けられます。

実際の遷移状態の例として、エタンの軸回転の遷移状態を見ることにしましょう。エタンの炭素―炭素結合の軸周りの回転は、水素原子どうしの立体反発(ねじれ歪み)によって小さいながらエネルギー障壁があります。遷移状態としては、水素原子どうしがちょうど重なり合う(Eclipsed)配座が予想されます。そこで、エタンの構造を読み込み、重なり配座に修正して遷移状態最適化を行い、その振動計算を実行してみたいと思います。

エタンのPDBファイルはFacioに同梱されていますので、これを読み込んで Fig.10の形に修正します。一旦これを適当なファイル名で PDBファイルに保存後(ここではethane_ts.pdb)、GAMESSプリポストを起動して遷移状態最適化の入力を作成します。ます、$CONTRLセクションでRUNTYPをSADPOINT に変更します。このキーワードは鞍点(Saddle Point)すなわち遷移状態に向かって最適化するという意味です。これを選択すると、「力の定数を読み込むようにするか、最初に計算するようにしなさい」という旨のダイアログが表示されます。OKして、$STATPTセクションでHESSを CALCに変更しておきます。最後に、$BASISセクションで基底関数をN21に変更し(Fig.11)、子プロセスで計算を実行します。

計算が終わったら、続けて振動計算も行います。RUNTYPをHESSIANに変更し、$STATPTのHESSが GUESSに戻っていることを確認したら、再度子プロセスで計算を実行します。ここまでの計算はあっという間に終わります(私の環境で3,4秒)。Worksheetウィンドウに、「There is Only ONE Imaginary Frequency at Normal Mode #1」と表示されれば、計算は成功です。あとは先程と同様に、可視化用.punファイルを読み込み、振動をアニメーション表示させることができます。Fig.12に、実際に虚振動をアニメ表示させているところを示します。波数300.50877i cm-1となっています(実際には iは表示されませんので注意が必要です)。当然、ねじれるように動いており、軸回転の遷移状態であることが確認できます。

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