Frontier Orbital Theory
現在では、分子軌道を使った有機反応の理解がさも当然のように行われるようになりましたが、その基礎を作り上げたのは故・福井謙一京都大学教授です。福井先生が発表した「フロンティア軌道理論」は、化学反応の本質についての、実に簡潔な規則とでもいうべきもので画期的でしたが、当時の有機化学者の中ですぐにこれが自分たちの分野と密接に関連していることを理解できた人は少なかったそうです。
今更言うまでもなく、フロンティア軌道とは、電子対によって占有された分子軌道の中で最もエネルギーの高い最高被占軌道(HOMO)と空軌道の中で最もエネルギーの低い最低空軌道 (LUMO),そして電子一つが占有する軌道である半占軌道(SOMO)の三つを指し、化学反応はこれらの軌道の相互作用を最も重要なファクターとして起こる、というのがフロンティア軌道理論です。
ここでは、いくつかの反応性に富む分子のフロンティア軌道を見ることで、その分子がどのような反応性を示すのかを予測してみたいと思います。
Reactivity of Bromoethane
最初に、ブロモエタンの反応性について考えてみることにします。ブロモエタンは、有機化学を専攻している方ならすぐに「エチル化剤」であると考えると思います。ブロモエタンは容易に求核剤と反応し、エチル化することができます。このことは、ブロモエタンが求核剤から電子を受け入れる形で反応を行う「求電子剤」であること=LUMOが反応に大きく関与することを意味します。Winmostarを使ってブロモエタンをモデリングしてみます。まずはメチル基を付加してエタンを作成します。エタンの水素のうち一つを、元素置換ツールを使って臭素に置き換えます。キーワード欄はデフォルトのままで構いません。適当なファイル名で保存したら(ここではC2H5Br.dat,Fig.1)、[計算]→[MOP6W70 start] で計算します。
計算が終わると最適化構造が画面に表示されます(臭素の結合が長くなっているのがわかるはずです)。この構造を別名で保存しておき(ここではC2H5Br_opted.dat)、[計算]→[分子軌道表示] でグラフィック用出力を読み込みます。グラフィック用出力は、普通入力ファイルの拡張子を datからgptに変えたものです(ここではC2H5Br.gpt)。分子軌道表示ウィンドウでLUMOを指定 (軌道番号11)して、Drawをクリックすると、分子軌道が描画されます(Fig.2)。さらに、VRMLボタンをクリックすれば、VRML形式の3Dグラフィックが出力できます(Fig.3)。 3次元でぐりぐり動かしたい場合はこちらがお勧めです。ただし、VRMLビューアがインストールされていなくてはなりません。WinmostarではVRML Viewが基本ですが、好みの問題ですので好きなものを探してインストールして下さい。
さて、得られたLUMOから、ブロモエタンが求核剤の攻撃を受けるのは、C-Br結合の反結合性軌道であると推測することができます。フロンティア軌道理論では、軌道係数の一番大きいところ (すなわち軌道のふくらみが一番大きいところ)が最も反応性が高いということになりますので、そのままであれば、Br側から求核剤が接近することになりますが、それは静電反発によって不利になる(Brがδ-である)ため、逆のC側が最有力になります。これが、求電子的エチル化剤としての反応性を示しています。
※Brへの求核攻撃は、例えばアルキルリチウムによるハロゲン-リチウム交換などが考えられます。
よくLUMOをみると、β水素にも軌道があることが分かります(青い部分)。これは、求核剤の塩基性(≒プロトンとの親和性)が高いと、こちらの軌道と相互作用してE2脱離を引き起こす可能性があることを示唆しています。LUMOの形を見るだけで、ブロモエタンが2つの異なる反応性を有することが予見できるのです。
Reactivity of Acrolein
Grignard反応やMichael付加など、求核付加反応による炭素-炭素結合形成反応は有機合成で重要な役割を果たします。α,β-不飽和カルボニル化合物は、求核剤がカルボニル炭素に攻撃する1,2-付加と、β炭素を攻撃する1,4-付加の二つの可能性があり、条件によって一方が優先したり、同時に進行したりしてややこしいことになります。α,β-不飽和カルボニル化合物のLUMOは一体どうなっているのかを、最も構成原子の数が少ないアクロレイン(アクリルアルデヒド)で調べて見ることにします。
Winmostar上で、アクロレインを構築するのは簡単で、まずエチレンを構築し、置換基ツールで -CHOを導入すれば完了です。適当な名前で保存し(ここではacrolein.dat,Fig.4)、ブロモエタンの時と同様に計算します。Fig.5 に、計算されたLUMOのVRMLグラフィックを示します。これを見る限り、カルボニル炭素と β炭素の軌道が大きいように見えますので、この二箇所が求核剤に攻撃を受けるポイントと見ることができます。ただ、この画面では、どちらがより大きいかまではわかりません。
そこで、先ほど最適化した構造から、分子軌道への原子軌道の寄与(軌道係数)を調べることにします。最適化されたアクロレインが表示された状態で、キーワード欄を「AM1 1SCF VECTORS」に書き換えます。これを適当な名前で保存し(ここではacrolein_vec.dat)、計算を行います。この計算の出力の一部をFig.6に示します。VECTORSキーワードによって、軌道係数の一覧が出力されます。番号付けがわかりにくいですが、β炭素がC1,α炭素がC3,カルボニル炭素がC6です。これを見ると、分子がX-Y平面に乗っているためにLUMOへの寄与がほぼpz軌道のみになっています。そして、C1(β炭素)とC6(カルボニル炭素)ではC1の方が絶対値が大きいことがわかります。よって、アクロレイン分子は、β位が最も求核攻撃を受けやすい部位であるということがわかります。